ヤマトリノの昔は?選手の妻時代からキャバ嬢までの経歴を調べてみた!

ヤマトリノさんといえば、キャバ嬢として活躍する一方、「選手の妻」の名前でX(旧Twitter)でも広く知られている人物です。

現在は六本木の「ジャングル東京」で働きながら、YouTubeやSNS、キャバ嬢オーディション番組「LAST CALL」などにも活動の場を広げています。しかし、最近ヤマトリノさんを知った人の中には「昔は何をしていたの?」「最初から有名なキャバ嬢だったの?」と気になった人も多いのではないでしょうか。

実はヤマトリノさんは、19歳頃から夜の仕事を始め、六本木のクラブや複数のキャバクラを経験しています。その後、コロナ禍をきっかけに始めたXで「選手の妻」として知られるようになり、歌舞伎町への移籍を経て現在の知名度につながっています。

この記事では、ヤマトリノさんの昔から「選手の妻」時代、キャバ嬢として売れるまでの経歴を時系列で紹介します。

目次

ヤマトリノの昔は?どんな活動をしていた?

ヤマトリノさんは、現在のように有名キャバ嬢として知られる以前から、夜の世界で働いていました。

メゾンドボーテの本人インタビューによると、夜の仕事を始めたのは19歳頃。最初に働いたのは六本木のキャバクラではなく、ママがいるタイプのクラブだったそうです。

そこで約1年間働いたあと、六本木のキャバクラへ移っています。

現在はSNSでの発信力も大きな武器になっていますが、最初からインフルエンサーだったわけではありません。むしろ夜の仕事を先に経験し、その途中からSNSで知名度を高めていった流れです。

「選手の妻」名義で活動していた時代

ヤマトリノさんを語るうえで欠かせないのが、「選手の妻」という名前です。

コロナ禍で勤務していた店が休業状態になり、家で漫画や動画を見る生活をしていた頃、時間を持て余してSNSを始めたと本人が語っています。

写真を撮ることが得意ではなかったため、Instagramなどではなく、文字を中心に投稿できるTwitter(現在のX)を選んだそうです。

そこで使用していたアカウント名が「選手の妻」でした。

単に日常を投稿するのではなく、SNS上ではある程度キャラクターを意識していたようで、「キャッチーな名前にした」「少し知的で納得感のあることを言うキャラクターを考えていた」と本人インタビューで説明しています。

その後、「選手の妻」という名称そのものがヤマトリノさんの代名詞のようになっていきました。

なお、「選手の妻」という名前だけを見ると、スポーツ選手と結婚しているようにも受け取れますが、この名前だけを根拠に実際の結婚歴や配偶者を判断することはできません。

ヤマトリノが有名になったきっかけは?

ヤマトリノさんは、一つの投稿が突然大バズりして有名になったわけではないようです。

2023年のインタビューでは、Xのフォロワーについて「続けていくうちに少しずつ増えた」という趣旨の説明をしています。また、ヤマトリノさんを面白がってSNS上で絡む著名アカウントなどの存在も、知名度拡大につながったと振り返っています。

そのため、「選手の妻」という特徴的な名前、本人の発言やキャラクター、周囲とのSNS上でのやり取りが組み合わさり、徐々に知られていったと考えるのが自然でしょう。

2023年当時には、すでにTwitterのフォロワー数が11万人を超える人物として紹介されていました。

ただし、SNSで知名度を得たことと、キャバ嬢として売れるようになったことは別の話です。

では、ヤマトリノさんはどのような経歴を経て、現在のような人気キャバ嬢になったのでしょうか。次は、夜の仕事を始めた頃からキャバ嬢として本格的に活動するまでを見ていきます。

ヤマトリノがキャバ嬢になるまでの経歴

ヤマトリノさんの夜職歴は、19歳頃から始まっています。

本人がメゾンドボーテで語った経歴を時系列で整理すると、最初は六本木のクラブ、その後は六本木のキャバクラを複数経験しています。

スクロールできます
時期・順番主な勤務先・活動
19歳頃六本木のクラブで勤務
その後ベネ東京 六本木
コロナ禍Xを始め「選手の妻」として活動
その後ファブリック六本木
約1年間ほとんど働かない時期
その後ジャングルで本格的に売上を意識
2022年頃歌舞伎町CELUXへ移籍
2024年2月六本木ジャングル東京へ移籍・復帰

一気に現在のポジションまで上り詰めたというより、店を移ったり、働かない時期を挟んだりしながら現在につながっていることが分かります。

キャバ嬢になる前の仕事や活動は?

ヤマトリノさんが最初に夜の仕事を始めたのは、19歳頃だったと本人が明かしています。

最初に勤務したのは、六本木にあるママがいるタイプのクラブでした。

約1年間在籍していたそうで、本人はこの時期について、会話力など現在の接客にも生かされているのではないかと振り返っています。

その後、「ベネ東京 六本木」へ入店。ただし、この頃は出勤自体がかなり少なかったそうです。

さらにコロナ禍に入り、ほとんど働かない状態になった時期にTwitterを開始しています。

Twitterを始めて半年ほど経った頃には「ファブリック六本木」に入り、最初の3か月ほどは出勤していたものの、その後は出勤が減り、半年ほどで退店したと説明しています。

そして、そこから約1年間はほとんど働かない生活をしていたそうです。

こうした経歴を見ると、昔から仕事一筋でキャバクラのトップを目指していたというタイプではなかったことが分かります。

むしろ本人も「働くことがあまり好きではない」という趣旨の発言をしており、後になって「働くなら売れたほうが効率がいい」と考えるようになったことが、キャバ嬢として本格的に取り組む転機になったようです。

キャバ嬢になったきっかけや時期は?

ヤマトリノさんは、19歳頃から六本木のクラブで働いていますが、その後キャバクラへ移っています。

現在のように売上を強く意識して働くようになったのは、「ジャングル」で勤務するようになってからだったと本人は説明しています。

ジャングルでは、初めて「売上を作るためにちゃんと働こう」と考え、週6日出勤するようになったとのこと。

SNSで一定の知名度も得ていたため、単純に店内で接客するだけではなく、「選手の妻」としての知名度とキャバ嬢としての活動をどう組み合わせるか、ブランディングを考えるようになったそうです。

ここが、それ以前の働き方との大きな違いだったといえそうです。

そして、ヤマトリノさんがさらに知名度を上げるために選んだのが、六本木から歌舞伎町への移籍でした。

次は、歌舞伎町で大きく注目された時期から、現在の六本木での活動までを見ていきます。

ヤマトリノのキャバ嬢としての経歴は?

ヤマトリノさんのキャバ嬢としての知名度が大きく上がった転機の一つが、歌舞伎町「CELUX」への移籍です。

六本木で働いていた頃からSNSではすでに知られていましたが、本人はさらに短期間でキャバ嬢としての知名度を上げる方法を考えていました。

そこで注目したのが、ランキングや看板などによって成果が目に見えやすい歌舞伎町だったようです。

六本木でキャバ嬢として活動

ヤマトリノさんのキャバ嬢としてのキャリアは、六本木が中心です。

クラブ勤務後に「ベネ東京 六本木」、その後「ファブリック六本木」を経験し、さらに「ジャングル」でも働いています。

特にジャングル時代には、それまでとは働き方を変え、週6日出勤するようになりました。

一方で、六本木の店ではナンバーや看板などが外部から分かりにくいケースもあり、本人は「成果を出しても、それを広く知ってもらう方法が少ない」という点を意識するようになります。

そこで、「キャバ嬢として最速で知名度を上げる」ために歌舞伎町への移籍を考えたそうです。

単に店を変えたのではなく、SNSですでに持っていた知名度を、キャバ嬢としての実績につなげる戦略的な移籍だったことがうかがえます。

歌舞伎町へ移籍して現在の活動へ

ヤマトリノさんは2022年頃、歌舞伎町の「CELUX」へ移籍しています。

このタイミングで、それまで使用していた「リノ」という源氏名に名字を付け、「ヤマトリノ」と名乗るようになりました。

「ヤマト」の由来については、漫画『ONE PIECE』のキャラクター「ヤマト」から取ったと本人が明かしています。

CELUXへの移籍後、入店直後に行われたグループレースで1位を獲得。2023年のインタビューでは、このレースで5000万円を超える売上を記録し、看板やアドトラックなどを通じてキャバ嬢としての知名度が一気に上がったと紹介されています。

その後、2024年2月には歌舞伎町を離れ、六本木の「ジャングル東京」へ移籍しています。

さらに2026年8月のメゾンドボーテの記事では、4月のバースデー月間に2.3億円を売り上げ、ジャングル東京の歴代記録を更新したと紹介されています。

現在はキャバクラ勤務だけでなく、YouTubeやSNS、撮影などにも力を入れており、「LAST CALL」にも出演。キャバ嬢とインフルエンサーの両方で活動するスタイルへ広がっています。

こうして経歴を並べてみると、「選手の妻」としてSNSで知られたことと、キャバ嬢として実績を積んだことが互いに影響しながら現在のポジションにつながったことが分かります。

では、昔と現在を比較すると、ヤマトリノさんはどのように変わったのでしょうか。

ヤマトリノは昔と現在でどう変わった?

ヤマトリノさんの昔と現在で最も大きく変わったのは、仕事への取り組み方と活動の幅でしょう。

昔は出勤日数が少なかった店もあり、ファブリック六本木を辞めたあとには約1年間ほとんど働かなかった時期もあったと本人が語っています。

ところが、その後ジャングルで売上を意識して働くようになってからは週6日出勤へ変化。歌舞伎町CELUXでは看板レースで結果を残し、現在のジャングル東京でも継続的に高い売上を記録しています。

また、SNSの位置付けも変化しています。

コロナ禍に時間があったことをきっかけに始めたTwitterが、現在ではキャバクラの集客や本人の知名度を支える重要な活動の一つになっています。

2026年のインタビューでは、YouTubeを週2回投稿するなどSNS活動をさらに強化し、キャバクラのランキングだけではなく、仕事全体として収入や活動を考えるようになったことも語っています。

「暇だったから始めたSNS」から「仕事として強化するSNS」へ変化したことも、昔と現在の大きな違いといえます。

一方で、昔の顔立ちや外見についてはネット上でさまざまな意見がありますが、画像だけを比較して整形の有無や具体的な変化を断定することはできません。

今回確認できた範囲では、外見よりも、夜職への向き合い方やSNSの使い方が変化してきたことのほうが、ヤマトリノさんの「昔と現在」を理解するうえでは分かりやすいポイントといえそうです。

あわせて読みたい!

  • 💻 ヤマトリノの大学はどこ?学歴や出身高校・経歴を調査
  • 💻 ヤマトリノの旦那は誰?結婚しているのか「選手の妻」の由来も調査
  • ヤマトリノの昔や経歴まとめ

    • ヤマトリノは19歳頃から六本木のクラブで夜の仕事を始めた
    • ベネ東京六本木やファブリック六本木などを経験している
    • コロナ禍をきっかけにXを始め、「選手の妻」として知られるようになった
    • 歌舞伎町CELUXへの移籍を機に「ヤマトリノ」と名乗り、レース優勝などで知名度が上昇
    • 2024年2月から六本木ジャングル東京で活動し、現在はSNSや番組出演にも活動を広げている

    ヤマトリノさんは、最初からキャバ嬢としてトップを目指していたわけではなく、出勤が少なかった時期や、ほとんど働いていなかった時期も経験しています。

    一方、Xで「選手の妻」として知られるようになり、ジャングルやCELUXで本格的に売上を意識するようになってから状況が大きく変化しました。

    現在の活躍だけを見ると華やかですが、その背景にはクラブ勤務、複数店舗での経験、SNSでの発信、歌舞伎町への移籍など、段階を踏んできた経歴があったことが分かります。

    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!

    この記事を書いた人

    目次